SakuraX!! |
とりあえず好きな感じにやっていくと思います。 |
閲覧者から反響があったのは次のような食事に関する日記だった。
《7月24日 土用丑の日 夕食に、パック入りの「うなぎ蒲焼」が配られ、今生最期の味を噛みしめた》
匿名の投稿が並んだ。
《うなぎを食った? ふざけるな! 刑の執行を待たずに、絶食して苦しんで逝け、それが償いというもんやろ》
別の日記にはネットカフェ難民と名乗る人が「俺よりもいいもの食って、おやつも食って、俺も人を5人くらい殺して、死刑囚になりたい」と書き込んだ。
"「死刑囚獄中ブログ」是か非か アクセス急増、広がる波紋(産経新聞) - Yahoo!ニュース (via igi) (via katoyuu) (via yaruo)
「自分にはかけがえのない個性がある」と思ってる人は、全員同じ顔してます。区別がつきません。
俳句って字数制限キツイし季語とか切れとか定型とかルールがキツイんだからただでさえ個性なんて出ない、まして先人の句を意識してたらなおさら……と考えている人も多いようですが、それは話が逆で、俳句の定型や切れや季語って、全員に制服を着せたらかわいい子とそうじゃない子が残酷なくらいはっきりわかっちゃう、というような意味であなたの言語センスが測られるのです。
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原爆ドーム (Taken with instagram)
712 おさかなくわえた名無しさん :2011/08/13(土) 15:46:13.22 ID:9vUmQIUR
ありがちだけど、自分が養子だった事。
高校生の時に戸籍を見た事で知って、何で隠してたのか、俺を騙してたのかと
帰宅したばかりの親父に食って掛かった(さすがに母には言えなかった)ら
「ちょっと迷子になったってだけで騒ぐな。ちゃんと探してやったろうが」だと。
両親的には俺は、「生まれてくるとき、出てくる腹を間違えた阿呆」という事になっているらしい。
自分としては凄く衝撃的な事実だったのに
余りにもあんまりな返答を返された俺は、唖然としているうちに「で、お前宿題終わってんのか」の一言で自室に追い払われた。後に、俺は不妊に悩んでいた両親が
ふらりと訪れた施設で、ハイハイダッシュで駆け寄ってきた赤ん坊だったと聞いたw
母も父も、俺を抱き上げた途端「あ、これうちの子だ」「こんなところにいた」と感じたらしい。ちなみに俺が引き取られた後、不妊に悩んでいたはずの両親の間には
男二人女一人、見事にぽろぽろと子供が産まれ、俺は4人兄弟の長男に当たる事になる。血縁ないけど。
だけど弟二人は、俺が養子だと聞いても、血液型確認したくらいで
妹は「それ戸籍が間違ってるよ。だってお兄ちゃんとお父さん、寝相も寝返りうつタイミングもぴったり一緒だもん」だそうだ。
そんな親子証明はいらないwww多分、俺がいたという施設に問い合わせれば
実親の事も少しは判るかもしれないけれど
全く興味が沸かない自分が、きっと腹を痛めて産んでくれたのであろう人に
申し訳ないかなとは思っている。
(motomocomoから)
震災直後のタイムラインには、特殊なムードゆえの感情の揺れは差し引いても、思考停止としか思えない発言がしばしば無防備に現れました。
中学生のタレントがブログに綴った冗長で何の変哲もない原発批判の文章を、メジャーな文学賞も受賞している作家が「地震発生以来もっとも知的な文章」と評 したり、「息子よ。」というタイトルも内容も無用に感傷的なエントリを、批評やコメントで飯を食べている人たちが手放しで褒めたり。ネット的な言辞への免 疫が乏しいのか、ヒューマニズムをまとったテクストが目の前に現れると我を失って涙腺をゆるませる。そうした浮き足立ちぶりに、こういう状況においてこそ そうした人々が冷静な視座を提供してくれるものと思っていた私は不安を覚えずにいられませんでした。
ツイートの拡散が、アジテーションの機能を内包していることへの意識も希薄なように見えました。「自粛はおかしい」というのは地震後1週間くらいは説得力 をもっていましたが、集団でそれを言い出すと無言で自粛を強いるのと同じベクトルになりかねない。それを多くの人が自制もとがめもしないのは不思議でし た。
江戸時代じゃあるまいし、花見「禁止令」など都知事は出していないのにマスコミの短絡的な記事表現に煽られて反発し、だったら意地でも花見をしてやる公園集合!とか呼びかけたりするのも理解に苦しみます。同調に同調で打ち返してどうするのかと。
アエラの表紙の件もそうですね。見た瞬間に「この状況でこれはないだろう…」と思いましたし、ツイッターで沸き上がった批判のほとんどは的を射たものだっ たと思います。しかし積み重なっていく批判そのものが同調圧力となって、雑誌そのものや新聞社への憎悪にも転化していくのは寒気がしました。
同じ週で、対照的にポジティブなメッセージを打ち出した週刊ポストがその対比として称賛され、翌週以降になったら今度は科学性や客観性に立脚しなくてはいけない経済誌までもが「がんばれ日本」のようなカバーワーズをつけてきた。付和雷同もいいところと感じました。
とりわけ、新聞・テレビ・雑誌などと比べてツイッターで目立ったのが二項対立や二元論です。科学は黒か白かでは断じられないという前提が無視され、「原子 力」と「原子力発電」と「原子力発電所」がごちゃまぜに論じられた。絶対的な根拠もないのにひたすら安全性を強調する人々がいる一方、客観的なデータでは なく恐怖心を煽る言葉で危険を主張する人々がいた。
官邸や東京電力や原子力安全保安院の姿勢や対応に不信と怒りをいだくのは当然と思いますが、それはジャーナリストやメディアが科学的リテラシーを無視して いいという免罪符にはなりません。「御用学者」と批判するならその人物と電力業界などの関係性ではなく、学者が言っていること(言わないこと)の内容が批 判されるように導いてほしい。陰謀論を煽ってどうするのかと。
"地政学を英国で学ぶ : 原発事故とコントロール(の感覚)の問題 (via pinto)
(yaruoから)
チェルノブイリのときも、「911」のときも、テレビ画面の前で、雑誌の紙面上で、コンピュータのモニターの中で、リアルタイムで進行する事態に対し、いくつものもっともらしい解釈、それらしい論評がさまざまなひとびとによってなされていたことを私は覚えている。しかし、けっきょくはそれらの事件に「わかりやすい明快な解決」や「カタルシスのある爽快な結末」などはやってはこなかった。そこで述べられていた解釈や論評の多くは宙に浮いたまま忘れ去られ、次の事件が起きればまた似たようなことが繰り返される。当の事件そのものは当事国のひとびとにとってすら終わったんだか終わらないんだかよくわからないまま、日常の営為の中でなんとなく「過去の事件」になっていっただけだ。そのことを私たちはすでに知っている。
そうしたはっきりしない結末に対するモヤモヤした割り切れない感覚があるから、深刻な危機に直面しながらもキチンと納得のいくかたちで問題が解決してくれるヒーローの物語を、私たちは欲するのだと思う。
逆にいえば、事件が起きたときにメディア上を乱舞している言葉の多くも、不透明ではっきりしない事態をわかりやすいものにするための「先取りされた物語」になってしまっているように感じる。検証しようのない陰謀論や、刻々と変化する状況の中での政府や関係機関の対応に対する各種の解釈や論評に対し、多くの場合、私は「自分が理解できる物語の枠内に現実を押し込めて安心しようとしているだけなのではないか」という感想を持つ。
そこに描かれているのは、じつはヒーローたちの物語と同様に、事後的に解釈された「わかりやすい解決」でしかない。
"僕が@itkz氏のデマについて発言していたとき、中には、 彼を救いたいと思ったことはいけないことですか? と、僕に対してつぶやいた人もいた。
まあ、彼を救いたい、と思うことは悪いことじゃない。でも、彼を救いたい、と思ったがゆえの行動が、 ただ単にRTで情報を広めるだけ、というのは、ちょっと違うんじゃないか、と思ってしまう。
先も述べたように、要救助者に必要なのは現実に対する行動なのであって、 情報をただ単に拡散する、ということではないはずだ、と僕は思う。
もっとも、要救助者に救助隊が向かった、という情報をRTで広める、というのは、 救急への無駄な通報を減らす、という意味で、やったほうがいいとは思うけど。
まあ僕は今回のデマに関して、デマの発生源となった人物を攻め立てる事をするよりも、 自分たちの行動に問題はなかったか、今後今回と同じように、 要救助者が救助を求める事があった場合に、どう言った行動をとるべきか、ということを、 各自が考える必要があるのではないかと思います。
"1,東京電力はなぜ電力の融通を受けられないか
電力は、その物理的な制約により隣接した事業者からしか融通を受けられない。東京電力に隣接する事業者は東北電力と中部電力の2社。本来は、同じ周波数50ヘルツである東北電力からの供給を期待したいところだが、被災地からの融通は絶望的。もう一方の隣接事業者である中部電力の周波数は60ヘルツであり変電が必要。この変電能力はわずか100万キロワットしかない(今回の電力不足は、中部電力からの融通分を織り込んでいる)。
万が一東北電力の送電線が無事であれば、北海道電力から東北電力の送電設備を使って東京電力に電力を融通する「振替供給」も可能だが、北海道電力と東北電力をつなぐ「北本連系」の能力は60万キロワットしかなく、不足分を補えない。そもそも、北海道電力が電力を融通するなら、東北の被災地が最優先されるべきである。
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2.節電はするべきか
各電力会社ごとに事情が異なる。
①北海道電力
北海道は、冬期のエネルギー需要に応える必要性から、需要に対する電力供給能力がそもそも過剰ぎみなので、ボトルネックである北本連系限界の60万キロワットくらいは、おそらく現状でも融通できるだろう。つまり、残念ながら北海道電力の地域で一般家庭が節電することにより被災地に協力できる可能性は低い。
今後、節電の必要があれば、あらためてマスコミを通じた要請が出されるだろう。
②東北電力
電気はあらゆるインフラの中で最も早く回復するため、被災地でも徐々に電力の供給が再開されているが、女川原発が停止するなど、当面は東北電力の供給能力不足が続くので、電気が回復した地域でも節電すべきだ。
ちなみに12日の報道 によれば、北海道電力が被災地へ電力の供給を検討しているというから、最大60万キロワットの供給は期待していいだろう。
③中部電力
北海道電力と同じ理由で、変電能力上限の100万キロワットというボトルネックがある以上、残念ながら節電をすることにはあまり意味が無い。
今後、節電の必要があれば、あらためてマスコミを通じた要請が出されるだろう。
④東京電力
結果として、東京電力の地域は、域内で1,000万キロワット不足する電力需要分を節電しなければならない。節電というよりも、東京電力は、夕方の3時間程度、輪番停電で強制的に供給をストップすることをほぼ決定しているようなので、当面はこれを受け入れることで協力しつつ、火力発電の再開を待つしかない。
⑤その他の電力会社
遠隔の電力会社から振替供給しても、結果として中部電力から東京電力への変電能力100万キロワットのボトルネックに阻まれるので、節電しても意味が無い。
SODIS: ペットボトルを使った消毒方法。あと必要なのは太陽光。 太陽光の熱と紫外線で消毒するという方法で新たに薪などといった燃料を必要としない経済的な負担を軽減させた方法といえるでしょう。
汲んできた水を放置して沈殿させた上で布などで濾過、これでだいぶ透明な水が得られることでしょう。しかし、それだけでは飲用には不適で水中には微生物などが生息しており、中には人体に悪い影響を与える微生物もいることでしょう。そこで消毒を施すわけですが、
ペットボトルを用意します。用意するペットボトルは透明なものでガロンボトルのような大きなものでなく1~2リットル程度の清潔なペットボトルを用意して(事前に柔らかい布を巻きつけた棒を差し込んで内部を洗浄したほうがよい)、沈殿させた水の上澄みを注ぎ込んでキャップを閉めます(滞留しているような場所から汲んできた低酸素の水の場合は4分の3程度水を入れたら一旦キャップを閉めて20秒ほどシェイクして酸素含有量を飽和させてから水を満たした方がいいみたいです)。 後は太陽が出ていれば6時間程度直射日光に晒します。 水の温度を上げるためにトタン板のようなものがあれば、その上に放置しておく方がいいみたいです。 たったこれだけの工程で飲用に適した水が得られるというわけで ペットボトルがあれば、ローコストでローカルな環境に(燃料を得るための伐採などによる)影響を極力与えることなく飲用水が手に入る方法としてWHOも推奨しているそうです。
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